ドビュッシー「第一狂詩曲」①
今回はドビュッシーの「第一狂詩曲」を取り上げてみたいと思います。
前回も書きましたが、これは一つの解釈であり正解ではありません。
おそらく同意できない箇所も出てくると思います。
当たり前です。
しかし音楽のボキャブラリーを増やす上で色々な解釈に触れることは、悪いことだと思いません。
私はフランスのレッスンで受けた指示を、ひとつの引き出しとしてみなさんにご紹介したいと思ってます☺️
私はフランスに留学して、フランス語を少しづつ喋るようになり、一つ心から実感したことがあります。
それは
その国の言葉を知らなければ、その国の音楽を演奏する時にフレーズの感じかたに多少のギャップが生じるということ。
ヨーロッパと一括りにしてしまえば、簡単ですがフランス語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語etc (挙げていったらキリがない😅)
当たり前ですが、これらの言語、全っーーーーたく違います。
例えばロッシーニはイタリア語そのものの音楽ですし、ベートーヴェンはやはりドイツ語から生まれた音楽だと思います。
そしてドビュッシーはフランス語を聞いたことがないと、フレーズの長さに関してピンと来ないのでは?と思います。
フランス語ってすごくフレーズが長いのです。
「流れるように読まれる言語」で、「音が綺麗に繋がる事に命をかけている言語」だと私は思ってます。
試しに、ドビュッシーを吹く前に、簡単な動画で良いのでフランス語を取り扱ったものを見てみてください。
声楽曲はもちろん映画でもいいし、<communication française >
などで探せば、たくさん日常のフランス語の動画が出てきます☺️
さて曲に入るましょう。
まずドビュッシーでとても重要なのは文頭にある「Rêveusement lent」です。
Rêveusement には夢見るようにや、ぼんやりと、うっとりと。のような意味があります。
師匠は、『霧の漂う中にいるような感じよ。それはすごく美しいの。でも霧だからはっきりしないの。掴もうと思っても掴めないの』と。
ゆっくりなテンポだからと言って停滞してはいけないし、実態がはっきりしないから、この曲はクレッシェンドしてもすぐpまで落ちてしまう。
この音楽はその霧の中での出来事として音楽を作っていく必要があるんだと思いました。
最後の最後まで何か見えそうになっても、すぐにまた元の霧に連れ戻されるような感覚。。。それをするには、やはり長いフレーズ感が大事なってきます。
①から3小節目に丸がしてあるブレスマークがあります。
これは師匠から指示があった場所なのですが、私は今までここでブレスを取ろうと思ったことはありませんでした。
けれど試しにここでブレスしてみると、②までの10小節間大きなフレーズを感じて歌うことができます。
今回は前説が長くなってしまったので、②に続きます☺️
お読みくださりありがとうございました😊